ちむブログ

書評とか備忘録とか

35.妄想と勘違い

妄想と勘違い

第1 甲の罪責について

1 殺人未遂罪の成否

(1)甲に殺人未遂罪(刑法199条,203条)が成立しないか。甲は自動車をAにぶつけて転倒させ,転倒したAを所持する包丁で刺して殺すつもりであったところ,実際にはBに車をぶつけて転倒させている。甲が自動車をBにぶつける行為については,上記の通り,包丁で相手を刺殺するための準備行為として行われることが前提とされており,甲において当該行為では相手を殺す意思はなかった。実行行為とは,法益侵害惹起の現実的危険性を有する行為であり,行為は主観と客観の統合体であるから,その両面から検討する必要があるところ,甲にはAを殺す意思はなく,それを認容もしていなかったのであるから,時速20キロメートルほどの速度でぶつかるという客観面も考慮したとしても,せいぜい傷害の危険があるに過ぎない。したがって,この時点では殺人未遂の実行の着手は認められないように思える。

(2)しかし,甲は上記の通り一連の行為によってAを殺すつもりであった。そうすると,行為の危険性はこの計画も加味して検討する必要がある。すなわち,実行の着手時期については,①第一行為が第二行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠な行為であり,②第一行為が成功した場合,第二行為を遂行するうえでその障害となるような特段の事情もなく,③第一行為と第二行為が時間的場所的に接着している場合には,第一行為の開始時点で殺人の実行の着手が認められると解すべきである。

 そうすると,①自動車を衝突させる行為は,相手方に逃げられることなく包丁で刺すために必要不可欠であり,②自動車を追突させて被害者を転倒させた場合,それ以降の計画を遂行するうえで障害となるような特段の事情もなく,③自動車を衝突させる行為と包丁による刺殺行為は時間的場所的にも接着して行われることになっていたのであるから,本件でも第一行為の着手時点で殺人の実行の着手があったといえる。

 しかし,Bはこれによって死亡していないのであるから,未遂にとどまり,殺人未遂の客観的構成要件に該当する。

(3)一方,甲は,BをAと誤認して当該行為に及んでいる。この事実の錯誤について,殺人の故意が阻却されないかが問題となる。これについては,故意責任が規範に直面し,反対動機形成可能性があったにもかかわらず,あえて実行行為に及んだという反人格的態度を言い,その故意を構成要件段階で把握するというところからは,構成要件レベルでの規範に直面していれば,反対動機は形成可能であったのであるから故意は認められると解する。殺人罪においてはおよそ人であるという認識があれば足り,AもBもおよそ人というレベルでは一致するのであるから,甲には人に対して,本件行為を行うという認識はあった以上,故意が認められる。したがって,甲には殺人未遂罪の構成要件に該当する。

(4)甲は,Bに車をぶつけたあと,被害者がAでないことに気づき,犯行を中止している。そこで中止犯(刑法43条後段)が成立しないか。本件では,第一行為時点で殺人の実行の着手が認められるが,第二行為に至っておらず,実行行為が終了していない着手未遂の場合における中止犯の成否である。着手未遂の中止においては,それ以上の行為を中止すれば中止行為足りえるのであるから,甲はそれ以上の行為に出ていない以上中止行為は認められる。

 では,甲は自己の意思でこれを中止したといえるのか。任意性が認められるかが問題となる。これについては,甲は車ではね上げ落下したBをみて初めて人違いであることを認識して犯行を中止している。甲は人違いであるから犯行を中止したのであり,この外部的事情が決定的となっている以上,自己の任意の意思で犯行を中止したとは言えない。したがって,中止犯は成立しない。

(5)もっとも,甲は犯行時,統合失調症による心神耗弱状態であったのだから,責任減少が認められる(刑法39条2項)。以上から,甲には殺人未遂罪(刑法199条,203条)が成立するが,心神耗弱状態における行為であったことから,その刑は軽減される(刑法39条2項)。

 

第2 関連設例について

1 殺人罪の成否

甲は,Bに車を衝突させて跳ね上げ,それが原因でBは死亡している。甲は,Bに車を衝突させて転倒させ,転倒したBを包丁で殺そうと思っていたところ,第一行為時点でBは死亡しているため,いわゆる早すぎた構成要件の実現が問題となる。

 これについては,上記で述べた①~③をみたす以上は,第一行為の時点で殺人の実行行為の着手が認められ,結果が第一行為で発生するか,第二行為で発生するかは,その因果関係の錯誤に過ぎない。そして,第一行為で結果が発生するか,第二行為で結果が発生するかは重要ではない因果関係の錯誤であり,法定的符合説によれば因果関係は存在すれば足り,そのありようは問題とならないのであるから,故意は阻却されない。

 したがって,第一行為時点で殺人の実行の着手があり,故意も認められるのであるから,甲には殺人罪(刑法199条)が成立する。他の問題については第1の(3)以下と同様に考えればよい。

以上